デジタル介護士 ぱんあた(Panda attack)です。
何か新しい知識を得た時、周りの人にその知識を発信したくなる時があります。
純粋にその知識を共有したい時もあれば、周囲に認められたいという下心がそうさせる時もあります。
ただ、その気持ちは必ず人に伝わるので、下心があればあっさりと見透かされてしまうものです。感情とは思った以上に伝わるものですね。
それでも、私の中で知識を発信したい気持ちがあったり、頭の中に定着させたい気持ちがあるのは事実です。
この気持ちを満たしたいけど、人に嫌な思いをさせたくない。
今回は、それをひとまとめに解決してくれるのはブログなのですよ、という話です。
発信するとき相手に伝わるもの
知識を発信するとき、言葉で伝えようが文章で伝えようが、人が生み出すものである以上、知識と共に感情も乗せて相手に届けることになります。
そして、相手はまず知識の内容よりも、言葉のチョイス、語気、表現から感情を先に受け取ることになります。
知識を発信するときに乗せた感情が本当に相手のことを思って発信しているなら、相手も自然と受け取ってくれると思うのですが、もしも、その感情が自分勝手なものなら、その感情を先に受け取ってしまうので、どれだけ必要な知識でも受け取ってくれなくなると思います。
つまり、知識そのものではなく、知識を知っているということを伝えたいだけなら、本当にその事実しか伝わらなくなります。
知識を発信するベストタイミング
私見ですが、知識を発信するベストタイミングというものがあると思います。
それは、人が必要とする時ということになると思います。
それ以外で、求められてもいないのに知識を発信すると、相手の時間を奪うだけの無意味な時間になり不快な思いをする人もいると思います。
ブログは見たい人が見てくれる
私の中で知識を発信したい気持ちや、頭の中に定着させたい気持ちがあるのと同時に、人の時間を奪うのも申し訳ないと思うので、ブログという形で自分が学んだ知識を発信しています。
私の知識は本当に拙いものですが、それでもブログという形で発信すると、必要な時に必要な人が検索してくれるので、誰かに不快な思いをさせずに、私の下心と誰かの役に立てるかもしれないという純粋な喜びを同時に満たすことができます。
また、知識を学ぶことがインプットだとすると、ブログという形で発信することはアウトプットになります。
インプットしたものをアウトプットとしてきちんと形作ることができれば、知識が自身の頭の中で定着することになります。
つまり、こういう考え方です。
- 知識を発信したい気持ちがある⇒だたし人に不快な思いをさせたり時間を奪いたくない⇒ブログなら必要な人が見てくれる
- 自分の中で知識を定着させたい⇒定着させるには何かしら形として残すことが必要⇒ブログは形として残せる
以上のことから、私はブログで記事を発信しています。
まとめ
今回の記事は日記のような記事でしたが、この内容は文字として、物質として、残しておきたかったというところです。
私も人間である以上、感情に左右されてブログを書いているのですが、その感情がポジティブなものであるときもあれば、ネガティブなものであるときもあります。
ネガティブな感情を乗せた記事だとしても、その感情が伝わることなく、フラットに知識を発信するにはブログという手段が最も適していると思います。
自己満足だとしても、私は知識や、知識を知っているということを伝えた気分になれますし、ブログを読んでいる人は必要なタイミングで読んでくれているはずなので、そんな私の下心丸出しの感情を受け取らずにフラットに知識を得てもらえるのではないでしょうか。
最後に、もちろんですが…私の拙い知識では読み手の満足を得ることはまだまだ難しいと考えています。
これからも、もっともっと精進します。